日々のバリゾーGON

日々の罵詈雑言を書き連ねた日記です

また空いてしまった

続くとしておきながら、母のことを中途半端にでも終えたので、少しほっとしてしまいました。
母の死について毎日何かしら、思うことがありますがそれはその都度、書いていければと思っています。

父が退院して一ヶ月以上が過ぎました。最初は一ヶ月もつかな~?もってくれ!と思いながら介護していましたが、何とか二か月くらいは行けそうです。
こんなこと誰にも言えませんが、4月の入院後はいつ逝ってくれてもいいと思っています。
毎日認知症状が強くなるし、思うように歩けなくなってるし、食事も手が震えて食べにくそうにしてるし、生き地獄に陥りそうで嫌です。
それにしても・・・私は今から自分の死について考えますが、父と母は自分が後期高齢者と言う自覚がなかったのではないでしょうか?
自宅は小さな平屋ですが、敷地は100坪ありそのほとんどが庭です。父は木や花を植えて手入れをしていましたが、70代になっても「いつまでも出来るわけではない」と思わなかったのでしょう。84歳で脳梗塞になり、それから5年間、庭は放置状態。母はもともと庭の手入れにはノータッチでした。
私が去年実家に戻った時には草が生え放題で庭木は伸び放題。まるで廃屋状態でした。
母に頼まれ、3ヶ月かけて草引きと木の伐採をし、何とかスッキリさせました。その間に母は入院して亡くなったので今の状態を知りません。
数日前、父に「どうして庭にしたのか?何故畑にしなかったのか?」尋ねました。私なら畑にするかな~?と思ったので。
「見た目がいいから」という答えでした。どうせ草引きするなら畑の方が実用的だけどなぁ。庭の手入れは本当に大変です。多分私の親の世代は「自身の死」と言うものはどこか遠くにあるものと言う感覚なのでしょう。
私は祖母が亡くなった時に「命あるものは生まれて死ぬ」と思い知りました。だから自分の死についてもよく考えます。
息子に言うと嫌がられますが。
母も父が先に死んで、それからは自由を謳歌すると計画していたのだと思います。父の死への準備はしていましたが自分のそれは全くしていませんでした。だからとても困りました。

続く