日々のバリゾーGON

日々の罵詈雑言を書き連ねた日記です

涙です

母は父の介護で腰を痛め、脊柱管狭窄症と診断されていました。腰は痛いものの、痛み止めとシップでごまかしていて、私が何度「それでは治ったことにならないから接骨院へ行こう」と言っても断られていました。腰の手術をしても治らないというのは、私が整形外科で勤めていた経験と母が近所の人との会話で分かっていたはずなのに、それでも手術を選択したのはとても辛かったからだと思います。

病院に着くと病室にはおらず、詰所の隣の緊急室のような所で点滴と鼻に酸素チューブを着けた母がいました。思わず涙が出ました。看護師が「消防へ電話したら救急車が今出払っているそうでもう少し待ってください」と言いました。母に声掛けしましたがうつらうつらした状態でした。「術後のリハビリを頑張り過ぎたからだよ」「早く家へ帰りたいもん」これから医大へ搬送されることを伝えると「洗濯物、取りに来てもらうの遠いわ」「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」看護師に対して「皆さん良くしてくださって・・」この期に及んでまだそんなこと言う?
その時やってきた医者が「熱がないしね~でも尿の色が濃いし、良く分からんのよ~笑」お前それでも医者か?瀕死の状態が分からないのか!熱は数日前に出ていて下がっていました。今にして思えば、その時に何か対処していれば!
やっと救急車がやってきました。いったんここは退院です。不愛想な事務員が私に請求書を突きつけました。私は母の荷物を積んで自分の車で向かいます。「お母ちゃん!私もあとから行くからね!向こうで会おうね!」と言って見送りました。

医大へ行ってから翌日に母は亡くなりました。死因は化膿性脊椎炎。医大へ運ばれた時点で敗血症性ショックという診断でした。やはり・・・。自分を責めました。何故「それ敗血症じゃない?」と言った時点で転院させなかったのか、敗血症をよく調べるべきだった。私自身も敗血症の怖さをよく分かっていなかったのです。でも何故「敗血症」が頭から出てきたのか。

あまりに突然の母の死。父なら納得できました。しかしこの理不尽さ。何なんだろう。

つづく